武蔵浦和道場での子供クラス。
子供達の意欲を削ぐ事なく、上手に指導するのは非常に難しい<技術>です。場の雰囲気、流れ、その日の天候や気分。様々な要素が混在する中でのリアルイベントです。
入会動機に多く挙げられる「礼儀作法~」といった道徳的な事柄は「押し付け」が基本になります。「ダメなものはダメ」というやつですね。道場で指導を行っていると「騒ぐな~!」「ちゃんとやれ~!」「挨拶は大きく~!」等、様々な「押し付け」を行う事が多くあります。たまにそんな事を言いながら考える事があります。
<道は法に勝るのか?法における道の位置つけはどうなのか?>
我々が住んでいる日本という国は「法治国家」として成り立っています。当然「法」が最上位階層に位置し、何事も、何人も法に準じる事が求められます。では「礼儀作法」等に代表される道徳は一体なんなのか? 僕自身、答えは大まかにはハッキリしていて、<道徳は人間の素養、法は規範である>と考えています。もちろん法の専門家ではないので100%正しいかどうかは分かりません。
古代中国では、<法 VS 道>が対立軸になっていた時代もあります。キングダムでお馴染みの秦の始皇帝 政が焚書坑儒を断行し、儒家の弾圧したのも、その延長線上にあります。当時の概念で言えば徳治主義vs法治主義という所でしょうか。
秦が項羽により滅ぼされ、劉邦が天下を取り前漢が建国された時代あたりから対立軸としてではなく、法と道を両立させた学問が提唱されている所を見ると、「対立させてると戦争になるよね?いっそのこと混ぜてもよくね?」と経験から学んだのでしょう(笑)
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前漢建国は紀元前206年とされていますが、この頃の日本は弥生時代。狩猟時代でもあった縄文時代を経て、稲作文化の影響で富の概念が発達し、広域地域勢力が拡がり、結果として魏志倭人伝に登場する女王卑弥呼率いる倭国が成立する時代です。大幅に脱線しました(;^_^A
人様に指導するのが当たり前になると「自分の意向は正しい」と勘違いする事も往々にしてあります。僕自身も振り返ると反省をしますし、現在進行形で「俺一番病」を進行させている人も多くいます。
人様に空手という技術を通して、指導を行わせて頂く以上は自分自身が徳治&法治主義であって、範を規する人物たらねばならないのだと思考を整理しながら2種類の飛び蹴り稽古を指導しました(^^)/