12月号
最近僕の心に深く刻まれ、忘れたくても忘れられない話があります。
それは「はだかでばネズミ」についての話です。その名前も「あまりにひどいのでは…」と同情してしまいますが、その「はだかでばネズミ」の掟に衝撃を受けました。
はだかでばネズミは地下に穴を掘って集団で生活をします。厳しい階級社会になっており、上から下まで順位づけがされています。さて、このはだかでばネズミ、巣穴に天敵の蛇が入ってきたときどうするか。
なんと、階級が一番下のネズミを蛇の前に一人残し、その状態で他のネズミ達は巣穴を塞ぐのです。
チロチロ舌を出し近づいてくる蛇。組織の末端にいるネズミは震えながら立ち尽くすばかり。逃げもせず暴れもしない。脅えながらも仲間のために命を投げ出すのです。その後ろでは仲間達がせっせせっせと猛スピードで土を積み上げ壁を作っていく。
そうなんです、関ヶ原合戦「島津の退き口」がごとく「捨て奸」を行うのです。
そして蛇が生け贄のネズミを食べ始めるころ、巣穴に壁を作りおえた仲間達は一目散に逃げていく…なんと残酷な?
「汝、事を非難することなかれ」
しかし、これがはだかでばネズミが子孫を絶やさぬための方法なんです。
遺伝子に組み込まれ、本能的に行動しているのでしょうが、怖いものは怖い、痛いものは痛い、悲しいものは悲しい…これが天命だと受け入れようとしても僕には受け入れられる気がしない。僕だったら食べられるとわかっていても、命ある限りは闘いたい!勝てなくてもせめて蛇の体に僕の生きた証くらいは刻みたい?中にはそんなネズミも存在してくれたら嬉しい。
結論としては、はだかでばネズミに生まれなくて良かった。その一言に尽きます。
しかし、人間だって、昔は似たようなことをしていたはずです。
数年前に博物館で、生け贄となった子供のミイラをみました。たしか「マヤ文明」だったと記憶してます。神様への願いと引き換えに、生け贄を差し出すのです。近年の研究で、見つかったミイラの毛髪から生け贄として亡くなる前の状況が解明されてきました。しばらく栄養価の高い食事を与えられ、それから薬物が与えられ、亡くなる直前は薬物の量がグンと増え薬漬けの状態だったということで、恐怖を感じながらの死ではなかったことが救いです。
また日本全国に人柱の伝説も多く残されています。遥か昔は天災など困難に直面した時に、神に願いを叶えてもらうのと引き換えに、人間の側も、一番大切な命をさしだしたのですね。
今から考えれば信じらるませんが、当時は皆がそれを疑問に思わなかった。当時の環境て、天災は神の怒りだと考えても仕方ない状況です。
常識は状況によって変化しますが、「命はかけがえのないものだ」という一点がぶれなければ、世界ももう少し平和なのにと思ってしまいます。
と同時に、「鴻毛が如し」という心境も理解が出来ます。
関ヶ原で首謀者として処刑された石田三成は斬首される直前まで身を労わったとの逸話があります。
「大志あるものは命を粗末にしない」という事なのですが、現代での教訓に活かすとするならば「命は大切に燃やし続けよ」という事になるのでしょうか。
どのみち生きるのならば この命 燃やし続けてくれようではないか!
と、はだかでばネズミから学んだ12月初句でした!
11月号
ハロウィンも終わり、11月となりました。
日本のハロウィンは熱かったとか。
海外では子供のイベントであるハロウィンを日本では大人が楽しんでいるということで、海外から楽しみに訪れる人もいるとのこと。そういえば今年はやけに不思議な方々を目にしました。昼間の池袋でも、「家を出るとき親に叱られなかったかなあ」と心配してしまう格好の若い子もチラホラ目撃しましたし、先日はベビーカーをおした親子連れのお父さんお母さんの頬が耳から顎までザックリ切れて血が出てるので思わずのけぞりましたが、特殊メイクとわかり安心しました。ハロウィンの日にやっていただけたら良いのですが、全然関係ない日であるうえに、夜の渋谷や六本木のように仮装人が溢れているわけではない昼間の池袋ですからそれはびっくりさせられました。
話は変わりますが、「黄金展」に参加して来ましたが、農耕民気質の僕、秀吉の金の茶室…絶対落ち着きません…茶道のワビサビは微塵もなく、成り上がり感に溢れているようで、非常に落ち着かない…千利休は秀吉の金の茶室プロジェクトにやはり嫌々携わったに違いない~などと考えながら金色に輝く椀で抹茶を金のエネルギーに押し潰されながらいただきました。
樹齢何百年などという木には、むやみやたらに触れては行けないと聞いたことがあります。それほどの樹木は人よりはるかにパワーがあるため、弱い人間のほうがパワーを吸いとられるそうです。黄金展でも係の方に「五億円の金塊に触れるのは最後にした方がよいですよ」と言われました。なぜなら、あまりに金塊のパワーが強いのでこちらのパワーを吸い取られる感じになるらしい。だから、小さい金の展示物から少しずつパワーを貰い最後に大きな金塊に触れて、小さな金達からいただいたパワーを少しお返しすると考えたほうが疲れないと。
恐らく、金だらけの茶室はエネルギーが強すぎて、落ち着かないんでしょう…秀吉は叩き上げ魂がギラついていて金よりパワーが強いから金の茶室でも穏やかでいられたのかなあ~
考えてみれば、武士は小さい頃からやるかやられるかの世界で毎日を命がけで生きているわけで、その中でも秀吉は農民(今では地侍クラスであったとの研究も。当時の村には若衆といわれる武力部門もありましたから秀吉もその類出身なんでしょうね)から天下をとるまで昇りつめたわけですから、これはもう凄いエネルギーです。
命と人権は保証されているものだと思っていられる現代とは「生きるパワー」は桁違い。
だとしたら、秀吉の茶室は「成金の悪趣味」と酷評されますが、金ピカピカに囲まれても居心地よく感じるだけのパワーを秀吉が持っていたという…優しい見方もできます。
ただ照明も今とは違いますから、昔の暗~いボワっとした明かりだけで照らされる金ピカピカの部屋は、嫌みなまでに権力を見せつけるようなピッカピカの金色ではなかったかもしれませんね。派手に光るのではなく、かなり抑えた鈍い光になっていたかも。荘厳な輝きであったのではないか……と、日本橋のコレド室町にて、金沢の金箔の小部屋なるものに入って感じました。
今年も残すところあと2ヶ月となりました。金にも負けない輝きを頭皮以外から放つ男を目指して精進していきたいと思います!
しかし江田島塾長を目指す僕としては頭皮からも光を放ちたい。悩ましい事であります。
なにはともあれ摩耗し過ぎないように気を付けながら今後も自分を磨いて行きたいと思います。一緒に自分磨きを楽しみたいというアナタ、そうアナタ!
今すぐお電話を!!!
10月号
だいぶ涼しくなりました。朝、道場に向かうため玄関をあけると、すっかり秋の香りがします。先日、ソファーに座るなり横になって寝てしまいました。窓からの風が心地良く、うつらうつらしているのが、たまらなく気持ちよい!少しのうたた寝でしたが、起きた時は何だか体が軽く、「蛹から蝶になった感じだなあ~」と思いかけ、そこでふと「待てよ…」と疑問がわきました。「果たして蛹は心地良くまどろんでいるのだろうか?」
人間でも背が伸びる時に成長痛で痛くて眠れない子供がいるくらいです。ましてや蝶の場合、青虫が蝶々になるわけですから、整形レベルではない激しい変化です。
人間世界で言うのなら
・アメリカ帰りの松田聖子
・流行らせよう感が痛々しいほどの韓流スター達の同じ顔
・フリーザ 第1形態から第4形態に至る、その過程
蛹の中は痛みとの闘いかも。その前に痛みを感じたりするのだろうか…
いろいろ調べてみた結果、細胞レベルの話やホルモンの専門的な話は難しくて全くわかりませんでしたが、僕の結論としては、「蛹の時間は秋のまどろみとはほど遠い」ということになりました。
蛹の時代、蛹の中ではまず脳を含めた中枢神経と呼吸器系以外が一度ドロドロに融解するらしい?ですからこの時期の蛹は少しの振動でショック死するそうです。
狼男が人間から狼に変わるときものすごく苦しそうなのと同じ様なイメージで、蛹の中でも「グググググッ!」と細胞がみるみる変化を遂げる軋みを耐えているのか。
その前に昆虫は痛みを感じるのか?
痛みに関しては、感じる、感じない両説ありましたが、感じないとするほうが多かったです。痛みを感じる説でも、「神経はあるので、ちぎられたり潰されて神経を傷つけられれば痛みを感じる」という説でした。人間のような痛みの感じ方ではないようです。昆虫は死ぬときは、他者に食べられるという、かなりパンチのきいた死に方が多いのですから痛みは感じないでいて欲しいです。捕まえられたり敵に襲われると明らかに逃げる素振りをみせますが、あれは身の危険を察知して逃避行動をとるらしいのです。本能って不思議ですよね。これも個体差はあるのでしょうか?人間にも鈍感だったり天然だったりする人がいるように、蝶々にもいち早く危険を察知するものと、クモの巣に引っかかっても気付かないものといたりするのでしょうか?
普通であれば危険に関しては察知する能力はあるのだから、逃げることのできない蛹の時代は危険に対して100%受け身だと考えれば、蛹の中で体はドロドロに溶けていても生き残っている脳は常に外敵に対して緊張感にさらされているはず…まどろむ余裕など全くないに違いない!と僕は考えました。蛹の気持ちが気になりますが、蛹にはなれませんから真相は謎です。いつか謎が解ける時代がくることを祈ります。
タテアゲハは良く見かける蝶々だそうですが、青虫で約二週間、蛹で約三週間、成虫で約三週間生きるとのこと。人間で言えば二十歳までは子供、それから五十歳まではまだまだ人として中身が出来上がらず、五十歳からようやく経験を積んで大人になる、といった感じです。遅い気はしますが現代の僕等はこんなペースなのかもしれないな~。
論語にはこのように記してあります。
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩をこえず」
まだまだ僕も蛹の時代。
のんびりまどろんでダラダラしている時期ではない!
弱い部分は溶かして再構築だ!それを繰り返しながら50代で揺るぎない人生を踏み出そう!
おじさんの蝶々として羽ばたく日を夢見て、あと10年自らも熱い稽古で蛹から華麗な羽化をしてみせます。
ある日、道場内で僕が白鳥を身にまとい「白鳥の湖」を練習していたら優しく一言諭して下さい。
「白鳥は鳥類だよ」と。
To be continued
9月号
今年の夏、僕はほとんど蚊に刺されませんでした。
もちろん蚊に対する対策は立てて夏にのぞみました。家の窓にも網戸にも玄関にもたっぷりと「網戸に虫コナーズ」をかけ、部屋にプッシュするだけのスプレーをプッシュしたり、寝るときはさらに液体ベープをつけたりしました。
そのせいか、家では一度も蚊を見ませんでした。初めは「蚊に勝利した!」とほくそ笑んでいましたが、考えてみると外でも刺されていないのです。これはどういうことか
…そもそも、今年、蚊自体が少ないのではないだろうか?そう思った僕はネットをのぞいてみましたら、同じように感じた人はたくさんいたようで、
「猛暑でボウフラがそだたない」
「水溜まりが干上がってしまい育たない」
「豪雨でボウフラも流されてしまい育たない」
など、いろいろな理由がありましたが、何にしろ昔より蚊の数は減少しているようです。
しかし、「このままどんどん蚊が減って絶滅たりして…」という夢はまったく描けず、そればかりか、未来の日本の蚊事情について恐怖すら覚えています。
そのわけは、ある一冊の本を読んだからです。
その本とは
「蚊學の書(椎名誠編著)」*とても面白いので是非読んでみてください
日本の蚊は、暑すぎても寒すぎても生き抜けない。しかし、ご存知のようにアマゾンにも、さらにシベリアや北極にも蚊が存在するというのです!
アマゾンはまだわかる。熱帯の蚊がマラリアなどを運ぶのはよく聞く話ですがシベリアや北極にも生息しているとは初耳でした。
しかも、日本の蚊とは気合いが違うようで、「隙あらば刺しちゃうぞ~」という可愛いものではなく、闘志剥き出しに全力で集団で襲ってくるとのこと。デニムの上からも突き刺してくるというから驚きです。なんとアグレッシブな!その姿勢だけは見習いたい。
大きさも強さも日本の蚊の比ではない!
日本のようにそこそこ綺麗な水溜まりでぬくぬく育つわけではないですから当然ですよね。アマゾンの猛暑の中を北極の極寒の中を、強く生き抜いた筋金入りの叩き上げですから、日本の蚊とは根性が違います。
日本の蚊がゆっくり時間を使ってあわよくば判定勝ちできたら嬉しいな~と思っているとしたら、彼等は試合開始と共に上段回し蹴りでの一本しか狙いません。殺気が溢れでています。
だから、怖いのです。日本だって蚊にとって厳しい環境になれば、一時的に蚊が減ったとしても、次にはそれに耐えうる叩き上げの強い蚊が育ってくるはず……温暖化にともないアマゾンで見かけるような蚊が日本にも発生するかもしれない。
僕が年金暮らしになるころには殺虫剤などなんのその、網戸すら壊す勢いの蚊がいる可能性だってなくはない!しかもすごいウイルスをもっているに違いない!
折しもデング熱が蚊によって発生しております。地球のどの場所にでも行ける時代ですから、日本には存在しないウイルスだってやってきます。それに加えて日本の蚊自体が強く逞しくなりすぎたとしたらと想像すると恐ろしい
…日本の蚊よっ、蚊取り線香の煙にヨヨと立ち眩みを起こして倒れこむ、そんな乙女の心を忘れないでくれっ!
あ、ちなみに血を吸うのは交尾後の雌ですが、雄は交尾後死んでしまうそうです…虫の世界は雄の役割が儚くて嫌いです。
自然に畏怖の念を抱くのと同時に、個人レベルでも自然との共存についてできることを考えていかないとならないと強く思わされた夏でした。
7月号
遂に終焉を迎えたw杯
連日のワールドカップ、日本戦は熱くライブで見ましたが、それ以降は録画して見ています。
僕も朝から晩までコツコツ頑張っておりますから、夜、体は疲れております。夜中に試合を見ながら眠りに落ちるわけです。
しかし、頭の片隅では試合を気にしている……脳は眠すぎて白眼をむいてガックンガックンしながらもアンテナを張り続けています。
「メッシ!」とか「ゴール!」とか「PKだ~!」というような単語にいちいち反応し、ビクッとして起きる。そしてまた夢の世界へ
……その結果として朝起きた時には全く寝た気がしない。ついには決勝トーナメントに入ったところで体の披露はピークに達し、ブラジルとチリが入場してきて、両チームが試合前に見事なまでにアクロバティックなダンスを繰り広げ、北朝鮮ばりのマスゲームをきめてから試合に入るという幻覚までみてしまいました。
朝起きて寝ぼけた頭で「いや~今季からの決勝トーナメントはすごいなあ!試合前にショータイムなんて斬新過ぎる。疲れちゃうじゃないか…」と念のためしておいた録画を見て完全に夢であったことを知り、その日以来夜はテレビを消してゆっくりと休み、起きてから時間のある時に見るようにしています。
世界の一流選手のプレイは、当然興奮させられますが、僕は解説者にも興奮です。ガンガンパスを回すサッカーで、選手の顔まではっきり見えるわけでもなく、よく各国選手の名前を入れながら解説ができるなあ!と。
「モドリッチから右サイドのスルナに出て、マンジュキッチの起点、 ペリシッチからさいごは18番オリッチのゴール!」……すばらしい……ピッチで走り回る選手を見て、わかるんですね!僕にはスバシッチ、ブラニッチ、モドリッチ、ブロゾビッチ、コバチッチ、ペリシッチ、マンジュキッチ、オリッチ…ときた時点で誰が誰かまったく理解不可能、ましてや激しく動く中で名前をあげて解説するなんて、絶対無理です。たまに「あ、誰かにイエローカードです。誰でしょうか?」などときくと何だか安心します。あと数試合、この解説も楽しみたいと思います。
もう一つ、僕がワールドカップで気になっている事が。完全に個人的な意見ですが、ドイツの洗練されたオシャレ感、すごいと思いませんか?別に僕がゲルマン系の顔が好きな訳ではないのです。全体的に何だかオシャレなんです。
考えてみた結果、
1.試合がなんとなく正統派(サッカーは詳しくないので分かりませんが)
2.奇抜な髪型や髭のぶっ飛んでしまった選手がいない
3.腕中タトゥーの選手がいない という理由にいきつきました。
そのままで美しい!チャラチャラした感じがなく、知的で紳士的なチームに見えます。
まあオシャレの基準は人それぞれですから、これは完全に僕の個人的好みですが……
ただ、まれにみる空手少年少女の気合の入った髪型。あれはどうなんでしょうね、気を使う場所を違えているし、そもそも武道という観点で物事を考えていない残念な感じが溢れていて素敵です。埼京・城北支部としては「そんな事を行う時間があるなら勉強か稽古しろ」で終わりですがね(笑)
たまにこんな感じが大会会場にいます(笑)
スポーツは素晴らしい!
決勝トーナメントでも二度ほど涙しました。競技にかかわらず、最後まで懸命に打ち込み、全力を尽くし、本気で喜んだり悔しがったりする姿は美しいと思います。
そして、喜んでもそこで終わらずさらに上を目指し、悔し涙を流してもそこで腐らず努力を重ねて這い上がる。
受けた刺激を力に変えて、今日の自主トレも気合いが入ります!
今月も夏の暑さに負けないほど、空手に熱い毎日を過ごしていきたいと思います。
6月号
非常に憤慨しています。
いや、憤慨を超越し諦めているのかもしれない。僕は今、皐月の中で非常に悩んでいます。
最近 ゆるいものが多すぎやしませんか?
しっかりと自分自身のその足で立てる奴が少ない。
少しの衝撃でユルトロッと崩れ落ちてしまう!
甘いっ(怒)そしてゆるいっ(怒)
昭和世代から見たら根性無しが多すぎる(怒)
もっとガツンと向かってくる奴はいないのか!
俺が拳をつき出せば、または拳を押したときに、この拳を、ガンと押し返してくるくらいのガッツある奴はいないのか(怒)
今僕が熱く訴えたいもの、それは「プリン」です。
僕はマカロンloveですから、プリンは今までそれほど気にしていませんでした。
たまに気が向けば、プッチンプリン3個パックを買ってきて冷凍してから食べる程度でした。
しかし先日とろけるプリンを食べながら、ふと思いました。
「昔のプリンが食べたい…」
ここ何年も食べたプリンはすべてなめらかでやわらかいことに気づきました。
10年くらい前に、実家のそばで食べた昔からある喫茶店のプリンアラモードのプリンが頭に浮かびました。あの卵たっぷりな手作り感満載の堅いプリンが懐かしい。
これからのグローバル社会で生き残れないのではないかと危惧するほどの間違った優しさという名の甘やかしが日本に溢れた結果、プリンの主流はなめらかでトロトロになりました。
トロトロプリンの種類によっては、「これ、飲み物でした?」というくらいのトロトロなものもあります。
今僕が求めているのは、焼き木綿豆腐のような表面に一瞬スプーンが刺さらないくらいの昔ながらの固めのプリンです。小さい頃母親が作ってくれた手作りのあのプリン。
余計なものがいっさい入らない懐かしの自然な味のプリン。そう、まさに焼き木綿豆腐。
顎にまでゆとりを与えた結果、若者の噛む力は年々低下、顎の骨は退化、歯並びは崩れて噛み合わせが悪くなり、堅いものをかまないために将来ボケる人が増えるという説も……そろそろ食生活からワイルドに戻さなければ。
時は今、固いプリンに蝉時雨。
かの有名な馬琴も吟っています(*嘘です)
プリンよっ!
飾り立てた美しさではなく、ありのままの姿でいいのだ。
都会に染まらないでくれっ!砂糖と卵と牛乳だけで十分なのだ!
そのままの素朴な君が一番美しい。
堅いプリン、カムバ~ク(オスカル風に)
で、僕は今待っています。
気になるあの子は9月13日に北海道は富良野から僕の元へ。
エゾアムプリンなるものが美味しいと聞き、注文したところ、予約がいっぱいで一番早くで9月13日だと
……「会えない時間が愛を育てるのさ」と郷ひろみも歌っていた。
9月までコツコツと指立てと巻き藁突きを繰り返し、指先の感覚を研ぎ澄まし、届いたプリンに精一杯の愛をこめて僕の指を優しく押し当てよう。つれないほど強く、拒否するかのように、僕の指先を弾き返してくれることを祈り続けます、
いつの日か、あのアラモードを食べるその日まで。
平成26年5月号
5月です!
また一つ僕が大人になる月がやってきました。
40歳までに自分にとって必要なものと不必要なものをハッキリわけて整理しておくと、40歳からの運が大きく開くとか!あと少し、しっかり見極めて整理整頓をしなければなりません。
孔子の言葉として
「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
と論語の中にも記述されています。
話は変わりますが先日、テレビから流れるニュースにびっくりさせられました。
皆様ご存知とは思いますが、遠足のバスの手配を忘れた旅行会社の社員さんが、遠足が中止になればミスがバレない!と思いつき、
「遠足を中止しないと自殺するぞ」
と生徒を装った手紙を届けるという事件?でした。
なんとも愕きなのは、その幼稚な発想をしっかり実行してしまったという事です。
ぶっ飛びました!
なんというトリッキーな作戦、冗談で思ったとしてもそれを大人が実行するとは…その実行力があれば、バスの手配は何とかなったんじゃないかと思ってしまいます。
言い出す勇気がなくて、日程はどんどんせまり、さらに言いづらくなり、追い込まれて追い込まれてやってしまったのでしょうが、パニックになった頭は、いくつかの選択肢の中で一番選んではいけない選択肢をひいたわけです。
「親戚が急に亡くなりまして…」と嘘をついて会社を休むようなレベルではなく、会社全体の謝罪、さらに警察の調査が入ったり、損害賠償まで検討されているとか……
過去のニュースを思い返してみても、失敗したときに誤魔化そうとして上手くいくことなどありません。
大抵後からバレてボヤで済んだはずのものも大火事になります。
「完全に隠せる確証がないなら、謝るべきものは潔く謝るべきだ」との教訓は何時の世も生かされていないのでしょうか。もちろん今回の事件は例外中の例外ではあるでしょうが。
人間だれでもミスはあります。ミスした時にどう対応できるのか……それを培う為にも失敗をたくさん経験することは大切だなあと思わされました。
逃げるのではなく、腹をくくってしっかり責任をとるだけの強さは持っておきたいものです。
今回の件も、ミスってしまったことはもう仕方ないのだから、クビを覚悟で上司に相談して会社をあげてバスの手配に駆け回れば、大企業ですし、なんとかなったのではないかなあと思ってしまいます。
ピンチのときに「腹をくくる」ことの出来る強さと思い切りと諦めの良さとが入り混じったような、物事を真正面から受け止める勇気は持っておきたいですね。
「あ~もうどうにでもなれっ!」と開き直りながらも「やれるだけのことはやってやろうじゃないかっ!」という攻めの姿勢は、美しい!
例えそうなる原因を自らが引き起こしていても、なんだか器の大きな人間に見えてしまう!
「腹をくくる」から、ふと疑問に思ったのは、「昔の武士で、切腹を申し渡された時に、嫌だ嫌だと逃げ回るような武士はいたのだろうか」ということでした。
気になったので、歴史オタクの知人にきいてみたところ、「切腹を命じられる武士自体が身分が高く、武士としての教育をしっかり受けているし、暴れたりなどしたらお家断絶になるから一族に迷惑をかけるし、あまりいなかったのではないか」
とのことでした。中には暴れて逃げ回り、「この恥曝しがっ!」と身内に斬り殺されるような人もいたようですが(笑)
子供の頃からの環境によってこうも違うものなんですね。今だったらほとんどの人間が取り乱してお家断絶だなあ。
そんな今の世にあっても、いざという時に取り乱して暴れないように、武士の魂をめざしたいものです。
さあ皆、岩田道場で武士魂を一緒に培っていきましょう!
ちなみに、ここでいう「武士魂」とは
戦国時代までの7度主君を変えるような藤堂高虎公の強烈な雑草魂と
江戸時代の儒教を加味した武士道とを足して2で割ったものを指しています!
平成26年4月度
電車の扉が閉まるその瞬間でした。
ロングヘアの綺麗な女性が慌てる様子もなく扉に向かってきました。もう閉まり始めていたので、僕は扉近くの吊革に捕まりながら「あ~間に合わないな…」というセリフを心で言い終わるか終わらないかの一瞬の出来事でした。なんとっ、サラサラロングヘアの綺麗な女性は、春らしい桜色のネイルの上品な両手を、締まる扉の隙間五センチにズバッと躊躇なく突っ込んだ。そして、表情一つ変えず、むんずと扉をつかみ、明らかにググッと力を込めて扉をこじ開けようとしたのです、無表情で…
当然JRとしては、そのまま発車するわけにいきませんから、全ての扉を一端開けました。女性は何事もなかったかのように電車に乗り込み、ウサギちゃんの飾りがついた可愛いピンクのスマホをいじりはじめました。
僕は怖かった。何が怖いって、この光景を目撃しなければ、そんなことをしそうな女性には見えないところが怖かった!
その女性はこれからデートに行くような格好をしていました。
もしかすると、相手の男性の前では、常に優しくにこやかかもしれない。美しいその指を軽やかに男性の指に絡めることでしょう。そしてサラサラロングヘアを風にたなびかせ、鈴の鳴るような声で彼に言うのだろう。
「今日、電車に乗り遅れそうになっちゃって、どうしようっ(^_^;)って思ったのだけど、ギリギリ乗ることができたの~!」
待て待て待て、はしょりすぎだっ!
思いっきり扉をこじ開けたのですよ!能面のような涼やかな顔で!
誉めるとしたら、自らの力で扉をこじ開けて乗りこんだというところ!
たぶん彼には見抜けない……数年後結婚して初めて彼女の強さに衝撃を受けるはず。
彼女を一生守ろうと誓った男のアイデンティティは脆くも崩れおちる、なぜなら自分が守ってあげる必要は全くないのだから。
女性はおそらく30歳前後、今この若さで鉄のごとき強いハートと確固たる行動力を手に入れていたら、
10年後のハートの強さはタングステン(W)、
50過ぎたらダイヤモンド(C)に硬化するはず。
う~ん、タングステン→ダイヤモンドとは聞こえは良いが強すぎる。
見た目からは本当に想像がつかないだけに、恐ろしい
…僕には見える、赤羽一番街を両手びっしりに大きな石を着けて闊歩する20年後の彼女が。ドラクエ8なら賢さの種が貰えるが、現在世界ではそんなこともないだろう。ダイヤモンドの嫁さんに守ってもらえると思えば彼も幸せかな、そんな幸せの形もあって良いはず!などと祈りつつ、電車を降りました。
考えてみたら、そんなものかもしれない。交尾しながら雌に食べられるカマキリやクモの話は以前書きました。雌に捨てられ寂しく死んでいく雄ライオンの話もしました。交尾と同時に雌の一部に取り込まれてしまうアンコウだっている。生物学的には女性の方が強いのはわかります。古事記の昔から女子優位なのですから。わかってはいますが、夢を見ることを許して欲しい。そう女を知らない男の書いた古の書物のように。
さらにいえば、古今東西老若男女問わず、「ハートの強さ」は羞恥心を捨てることでは決してなく、自分に打ち勝ち、自己を律するためのものであろう。
何事にも動じることのない心を持とう、常にドッシリ構えていよう。
四月は環境が変わる人も多いことでしょう。ハートの強さは生き抜くための大きな武器の一つです。電車の扉をこじ開ける強さではなく、何事もあきらめない強さを身につけ、大きく羽ばたいていきましょう!
平成26年3月号
オリンピックが終わってしまいました。
今年も感動で泣かされました!
選手達はこの舞台のために毎日努力を重ね、競技によっては何の援助もない中で金銭面も苦労しながら、一つのことに打ちこみ続けてきたのです。
学生時代「毎日一時間勉強する!」と決めて10年以上続いた人はいますか?「毎日腹筋をやる」と決めて10年以上続いた人はいますか?
自分に置き換えると、ほんの僅かな事でも毎日続けることは難しいものだと実感します。
毎日何時間もの練習を何年も何年も続け、更にその中の選ばれた者だけが、オリンピックの舞台に立てる。そう思っただけで震えがきます!
僕も大きな試合の舞台にたった経験がありますが、オリンピックとなればその何十倍もの重さで張り詰めたような空気感、人々の視線、自分に向かう世界中のカメラ、さらに日本を背負わされ、マスコミにメダルメダルと言われる責任感、だめ押しでスポンサーに「メダル期待してます!」なんて言われた時には気絶したくなるほどのプレッシャーでしょう。
インタビューだけを考えても普通の人で、世界中のメディアにマイクを向けられ、声一つ震えず堂々と笑顔で受け答えが出来る人なんてほとんどいないと思います。オリンピックのアスリート達は、想像を絶するプレッシャーを、自分を律して力に変え、自分のパフォーマンスのみに集中していくのです。凄いの一言につきます。
メダルを逃して、インタビューで謝る選手をテレビでみる度に、「謝る必要なんてないっ!頑張る姿を見せてくれてありがとうっ!」と涙を流しながら僕は感じていました。
努力した本人が一番悔しいはずです。日本でぬくぬく暖かい部屋でテレビを見ている我々に謝る必要はない、ましてや揚げ足取りが仕事の連中に謝る必要はない。
ちなみに、夜中にテレビを見ながら、僕はいつの間にか無意識に正座をしていました。僕も毎日を空手にかけた時代があります。食事も強くなるために考えてとりました。基礎となる拳を鍛えるために毎日コツコツと砂袋を叩き続けました。キツい稽古も耐えぬきました。達成感で喜びに震えることもありますが、悔しくて怒りで震えることも、自分の心が潰れるくらい落ち込むこともあります。そういった経験から、選手達の乗り越えてきたものがどれほどすごいものか想像ができたのでしょう、さらには、そういった努力を続けた人間の中でさらに選ばれた頂点の人間がオリンピックの舞台にたっているわけで、夢叶わず涙を流した人間は山ほどいるのです。そういう想像から来たのだと思うのですが、目にみえない強く鋭い光で刺されたような感じをうけ、光り輝く尊いものを見せていただいているような感じがして、正座せずにはいられなかったのです。感動をありがとうございました。
アスリートは美しい!
何かにガムシャラに突き進む姿は美しい!
ガムシャラに突き進む経験は、メンタルの強さを育てるはずです。そのメンタルの強さは生きる上で一番の宝となります。
そういえば、羽生選手が、自分が認識していた以上の緊張をしていて、それに気づかなかった。ということを言っていました。羽生選手は中学生以来失敗したことのないジャンプで失敗しました。その時のことを振り返り「勘弁してくれよ~」と思ったと言っていました。自分の認識以上に体が緊張で動いてなかったわけですから、頭はびっくりしますよね。
緊張しなければそれがベストでしょうが、なかなかそうはいきませんから、緊張している自分をどの程度緊張しているか認識することは確かに大切です。緊張は体を堅くします。できるはずの事を出来なくさせます。
メンタルを鍛え、緊張の中で自分のパフォーマンスに集中するためにも、まず自分が緊張していることを頭で認めて、どのくらい緊張しているのか分析にまず意識を向けていけば、必要以上に舞い上がりわけがわからなくなるということは避けられます。最終的に自分のパフォーマンスのみに集中して力を発揮する。これが出来れば、運動でも勉強でも無敵です!僕の半分しか生きていない19歳の羽生選手がアスリートとして必要なことを再認識させてくれました。
さあ、空手を通じて真のアスリートを目指そうではないですか。
強い体と強い心という武器を手に入れ、人生という冒険を乗り切ろう!
うっかりスライムにやられちゃった貴方、
または倒れた自分の棺桶を教会まで引っ張ってくれる仲間がいない貴方、
是非岩田道場で自分を鍛えて一緒にレベルをあげていきましょう!!!
……ドラクエの人気の秘密をなんとなく少し感じとりながらの3月スタートです!
平成26年2月号
少し時間があったので、本屋さんで普段気にも留めない都市伝説の本をパラパラっと見てしまいました。これがしばらく僕を悩ませることになりました。
内容は「この世界は過去に滅びた歴史がある」というようなもの。
はるか昔の地層に、ガラスが溶けた層が存在していて、それは核戦争でも起こらなければ出来ないような規模だという話でした。だから、地球の人類は核戦争により滅亡した過去があるのではないか…と。
地球ができて46億年、しかし人類が生まれてたった400万年で人間はここまで文明を発展させ、核爆弾もすでに作り上げました。そして今も世界中でたくさんの地域が戦争をしているのは事実です。世界中を巻き込んでの核戦争が起こらないとは言い切れない。
たかが都市伝説、暇潰しだと割り切って笑って済ませられない不気味さを感じてしました。
人間は忘れる生き物です。忘却は神が人間に与えた武器だといいます。ただ、絶対に忘れてはならないことまで忘れてしまっては意味がない。幼い頃教わるような「自分がやられて嫌なことは人にはしない」ということを世界中で教育するだけでも、世界が進む方向はだいぶ変わると思いますが、そんな教育を受ける機会さえない子供達が世界には多くいます。大人であっても、平気で人を傷つける人間も一定数存在します。
ありがたいことに、今ここに平和に生きている僕には、世界の争いを止めるほど大きな力はなくても、子供達に優しさと強さを教えていくお手伝いができたら嬉しいことだな~と、ふらりと入った時とはうって変わって神妙な面持ちで本屋を後にしました。
話は変わりまして、2月は節分です。
実家から小包みが届きまして、開けると柊の枝と神社の厄除け豆でした。ありがたいですね~。ドイツは魔除けとしてモミの枝を飾ったり、アジアでは唐辛子を魔除けとしているところも多いようです。縁起物の植物を調べてみましたら、縁起が良いと言われている植物が一方で縁起が悪いと言われるケースが多々ありました。
例えば
①ザクロは子孫繁栄のシンボルとされている反面、実が割れるので家名断絶に結びついて縁起が悪いと言われるようです。
②柿は、お金をかき集めると言われている反面、身が冷えるために縁が悪くなるとも。
③椿は寒い中でも緑の葉を繁らせ生命力があると言われる反面、首を落とすように花を落とすため、武士の家では特に嫌われるらしい。
結局本人の感じ方次第で良くも悪くもなるんですね。
節分の恵方巻きは、七福神にちなんで七種類の具材を入れ、福を巻き込むという意味で太巻きを作り、縁を切らないという意味で一本丸ごと食べるのですよね。
僕はマカロンでも食べようかな、東北東やや右を向きながら、七種類のマカロンを立て続けに飲み込んで、願い事をしたいと思います。
良い子と、賢い皆さんは真似をしないで下さい。エンディング時のサザエさんになることは間違いないのですから。
新春 平成26年1月号
新年あけましておめでとうございます。
今年も空手を通じて皆さんと一緒に心も身体も鍛え成長していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
ところで、皆さんおせち料理は好きですか?
「あまり好きではない」という方も僕のまわりにはけっこういますが、僕はおせち料理大好きです!
売っている高くて豪華なものではなく、昔ながらの家庭で作るおせち料理が好きです。
売り物の黒豆のようにツヤツヤでなく、多少シワが寄ってしまった黒豆が好きです。
マメに働く「黒豆」、
喜ぶにかけた「昆布巻き」、
金運を招く「栗金団」、
大きな芽がでることで出世を願う「クワイ」
それぞれに意味があるので、意味を考えながら、少しずつ御節をつまむと、パワーをもらった気になる僕は単純なんでしょうかね。
黒豆もこぶ巻きも田作りも似たような味ですが、お正月だなあ~という感覚が味覚を通じて体に染み込みます。感覚を通じて、しみじみと日本人だなあ~と感じる懐かしいような暖かな気持ちになる瞬間が大好きなんです。
例えば丸の内線や銀座線の見事なまでの整列乗車に参加したとき。三列で電車を待つ人々の隣に、始発を待つ人が三列に待機。先の三列が電車に乗り込んだ直後、始発待ち組は誰が掛け声をかけるわけでもないのに、アウンの呼吸で三列をを崩さずに立ち位置を移動。その姿は日体大名物「集団行動」の如き一糸乱れぬ見事な横移動!これぞ日本のお家芸!と満足感をえながら始発に乗り込みます。
また、大好きなマカロンの柚子味を食べた時、外国人にはオレンジの一種かもしれないが、僕には柚子のマカロンを通して、冬至の柚子風呂や水炊きのポン酢に搾る柚子、お雑煮やお吸い物に浮かぶ柚子の皮など、日本の文化や家庭の暖かな食卓をが見えるんです!
妄想だと笑うなら笑ってください。小さな出来事に幾つものホッとする思い出が付いてくるなんて、お得感満載です!
僕は年齢とともに、日常生活の中で自然の美しさに感動したり、今まで人からしてもらってもさほど気に留めなかった事をありがたいと感じたり、今まで流していた出来事を受け止めて何かを感じることが増えてきました。
今年は少し「もののあわれ」を感じて理解できる、雅な男に近づこうと思います。
戦争や餓えに怯えることなく、屋根の下で眠ることができて、手元に小銭があったなら、世界の上位8%の幸せをもらっているそうです。2014年も政治経済いろいろな変化があると思いますが、日本はすぐ良い結果が出ないと批判ばかり、こぞって叩きに走ります。もう少し誉めて伸ばしてもよいのでは?
日本に生まれたことを感謝して、日本の良さを再確認していきたいと思います。
何か問題にぶつかった時には不平不満を言う前に、一息ついてまずは今に感謝を、それから解決にむけて冷静に対応していこう、そのくらい余裕のある人間になろう!
と、元旦の自主稽古を終え山奥の露天風呂に一人、日本の冬をしみじみ感じながら、2014年スタートです。
道場は6日からの始まりですので稽古にたくさん参加して下さい~!