「丁寧な生活」と聞くと、自分とは違う世界の話のように思ってしまいます。
オシャレなスプーンでスープを飲んだり、玄関がいつもピカピカだったり、季節によって変えるラグだったり、朝は白湯を飲んだり……
なんというか、“ちゃんとしている人の世界”という感じがするものの、あまり気にもしていませんでしたが、でも最近少しだけ分かる気がしてきました。
なぜ丁寧に暮らすのか?と考えてみると「自分の毎日を雑に扱わない」ということなのかな……と思います。

例えば、コンビニで買ったお菓子を、袋のまま食べずにお皿に出してたべたり、季節の食べ物を喜んで食卓に入れたり、お気に入りのカップでお茶を飲んだり、少し良い珈琲を、時間をかけて淹れてみるなど。
寝る前、ホテルみたいに布団を整えるとか、ちょっと良いポン酢を取り寄せて楽しんだり、洗面所の鏡を常に磨いたり。
誰かに褒められるわけでもないし
年収が上がるわけでもない。
でも、不思議と人生の手触りが違うのだろうなと理解してきました。
毎日が、ただ流れていくだけではなくなるようで、丁寧に生きている人を見ると、なぜかちょっとした敗北感のようなものを感じる瞬間があります。人間のゆとりのような部分が自分に足りないような気にさせられる事があり、ちょっとだけ焦る気にもさせられる事もあれば、しかし面倒だと思う自分とは相入れない気がして諦めもあったりします。
丁寧な生活の人にあうと、派手でなかったとしても、とても優雅で人生をちゃんと味わっている感じがしたりします。
きっと、「今のこの瞬間」を雑に扱っていないから、その積み重ねの長い年月が人間を形成していくからかもしれないです。
汚い部屋で生活するとそれに慣れてしまうように、人は、日々を乱暴に扱うと、自分自身のことまで乱暴に扱い始めるし、それに慣れてそれが普通になります。

部屋が荒れたり、疲れて風呂も入らずソファで寝落ちしたり、慌ただしく追われて暮らして、気づけば、“今日”が記憶に残らない日が増えていきます。逆に、小さなことを丁寧にすると、「自分を大事にしている感覚」が少しずつ積み上がっていく気がします。
それは地味ではありますが、毎日できるものです。
毎日の生活のほとんどが特に
なんでもない日として過ぎていきます。
記念日や旅行や成功体験だけではなく、朝飲むお茶とか、洗ったタオルとか、そういうわざわざ話題にするほどのものでもない普通のもので毎日は構成されています。だから、その一つ一つを雑に扱えば、人生全体もザラザラしていくかもしれないし、、逆に少し磨けば、人生全体に静かな艶が出る気がしてきています。
もちろん、残念ながら自分はまだまだガサツ側の住人……ソファで寝落ちもするし、洗濯物も仕分けせず放り込んで叱られたりしますし、袋のままポテチも食べます。
なんなら、その適当な楽さも大好きで、これが俺だ!くらいの開き直りもあります。。
でも最近、「全部を変える」のではなく、1日1個だけでもゆっくりと“丁寧側”に寄せていくのも悪くないと思ってます。
丁寧に生きるって、完璧に暮らすことではないし、、やらねばならないことでもないので、「せっかくだから、ちゃんと味わってみようー」と思うくらいで僕にはまだ丁度よいですが。
毎日は、意外と長いようであっという間に過ぎていきます。
だからこそ、雑に消費するには少しもったいないように思えてきました。
季節の美味しい果物はテンションが上がります。やわらかいトイレットペーパーをいただいて感動したりします。出かけた記念に奮発した塗物のマグカップを使うと嬉しかったりします。

流れていく毎日、無理ない程度に少しずつ丁寧に生活していけば、20年後にはダンデイーな空手家になるはず。
見守っていただけたら幸いです。



